※ブログ更新※教室を出たら事を為せ!:ラーニングイノベーション論、最終セッション、そして修了。

 

 こんにちは、髙橋です。

 

 先週の金曜日、11月29日の夕方から夜にかけてラーニングイノベーション論の最終セッションがありました。

 今年5月の下旬から始まったラーニングイノベーション論も半年もの時間が経ちました。

 

 最終セッションである今回は、

 夏前頃から受講生各々が準備してきた人材開発・組織開発の施策案を発表することがメインです。

 この施策案は、受講生同士で発表フィードバックを行う「ゼミナール」を2回繰り返したうえで今回の発表を迎えます。

 そのため、同期の皆さんの発表資料を見て回りましたが、中原先生が「とても高いクオリティ」とおっしゃってた通り、本当に力作ばかりですごかったです。

 

 そのうえ、我々受講生が来る前に中原先生が全ての施策案に目を通し、付箋でコメントをつけてくれていました。

 最初はそんな予定はなかったそうですが、やりだしたら止まらなくなったとのこと。(笑)

 実に、1時間以上もかけて全てにコメントしてくださったそうです(ありがとうございました!)

 

 発表はポスターセッション形式で行い、3つのフェーズに分けて、ひとりの受講者が1回発表を行い、2回発表を聴きます。

 

 

 発表は、発表者による施策案の説明と聴いている方からのフィードバックの時間がワンセットになっています。

 私は中途採用者の組織適応について、その課題や打ち手について発表しました。

 ここでのフィードバックは「一歩先へ行くためのお手伝い」のため、聴いていただいた方から発表内容やその具体的な施策をさらにアップデートできるような意見を沢山いただくことができます。

 自分の発表でも、聴いていただいた同期生から、「自分の会社ではこんなことをやってます」「もっとこうした方が効果的かもしれない」というような声をいただき、大変参考になりました。

 実際、そういったフィードバックを受けながら、その場で「じゃあ、こんなのもいいかもしれないですね」という新しいアイデアが自分にも出てきて、それについてまたコメントがもらえます。

 

 そのような空間がラーニングイノベーション論にはあります。

 

 セッションの最後、受講生全員で修了証をお渡し渡され合ったときに、

 「中原先生やゲスト講師の方々の講座であることは確かですが、それと同じくらいに同期の皆さんから学ぶことが多かったと思います」

 「私にとってラーニングイノベーション論は”良質な対話の場”だった」

 とお話ししました。

 最終セッションから2日明けて、改めて振り返ってみて、また同じこと思いました。

 

 ラーニングイノベーション論の受講生募集がリリースされた日、かすかに震える指で行くあてのあったお金をぶん投げた(クレカ決済した)あの日を思い出します。

 あの時、びびって「明日でいいか」と思っていたら、おそらく間に合わず募集終了となって後悔していたと思います。

 迷わないで、良かった。

 

 この半年間、ラーニングイノベーション論では本当に沢山の方々にお世話になりました。

 中原先生やゲスト講師の皆さま。

 毎回のセッションをサポートしていただいた保谷さんをはじめとした慶應MCCの皆さま。

 そして、ラーニングイノベーション論11期の同期生の皆。

 本当にありがとうございました!

 そして、

 これからもよろしくお願いいたします。

 

(ストールは受講生みんなからのプレゼント)

 

 先生がおっしゃっていましたね。

 

 「終わりは始まり」

 「教室を出たら事を為すだけ」

 「勝負はこれから」

 

 だから、学ばな。。。

 

※ブログ更新※2Fの自分の部屋の床が抜けるのが恐いので、1Fに本棚をつくる:DIYで本棚製作!作業開始。

 

こんにちは、髙橋です。

 

「2Fの自分の部屋の床が抜けるのが恐いので、1Fに本棚をつくる」というタイトルの通り、

今日は「本棚づくり」をしていました。

実は、2018年の4月に今の家(兼店舗)に引っ越してきた時から「本棚を作りたい」と思っていました。

いや、「作らないとやばいな」と言うのが実際のところです。

というのも、自分の部屋は2Fにあるのですが、そこに大量の本が平積みされており、「これ床抜けないかな?」という不安があったからです。

そんな思いもあり、ときがわカンパニーさんで開催された「本棚づくりワークショップ」に参加したりもしました。

 

 

ワークショップはとても楽しくて、ためになる内容だったので、

そのあとすぐにやらないといけなかったのですが、、、

なんやかんやで色々バタバタしており、ずっと放置状態にしてしまっていました。(反省)

実際、1Fの本棚を置くスペースに荷物がたくさんあって、まずは片付けからという状態だったからというのもあります。

 

そんなこんなで、今日まで来てしまった。

ほんとうにひどいありさまです。。。

高いところだと腰の高さまで積みあがってしまっています。

ここは寝床の横ですが、その他のところにも本が溢れかえってしまっています。

 

 ▼

 

そこで、

ついに今日から1Fに本棚をつくり始めました。

作業は、我が家の大工兼電気工事士である父親にも手伝ってもらいながら進めていきます。

 

まずは、

買っておいた木材を切り、防腐剤を塗って乾かします。

 

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乾かしている間に、作業に必要なものの買い出し。

戻ったら作業再開。

(作業中の父親)

 

木材を突っ張り棒のようにして天井と床を繋げるディアウォールを使って2×4の木材を立て、金具で棚板を固定していきます。

ディアウォールは近年のDIYブームの火付け役アイテムのひとつだと思います。

参考画像
参考画像

(参考画像の柱上下の白い部分がディアウォール)

 

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そして、

こんな感じになります。(全体が映ってない!)

材料が足りなかった関係で、まだ途中です。

 

 ▼

 

というわけで、

最終的には部屋の半分の壁がこんな感じに天井から床まで本棚になる予定ですが今日はここまで。

今後も少しづつ作業を進めていくので、進捗を報告したいと思います。

 

よし、学ばな。。。

※ブログ更新※無知のヴェールとは何か?:合意形成についての哲学的思考実験

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日は哲学におけるキーコンセプトをひとつご紹介したいと思います。

 

政治哲学における有名な概念、あるいは思考実験というべきものに「無知のヴェール(Veil of ignorance)」というものがあります。

 

これは、20世紀にアメリカで活躍した哲学者であるジョン・ロールズが生み出した概念です。

「ジョンロールズ」の画像検索結果

ロールズは哲学の中でも、主に倫理学や政治哲学を研究した哲学者で、その主著『正義論(A Theory of Justice)』の中で「無知のヴェール」が論じられました。

ちなみに、この『正義論』は800ページ以上もあるまさに大著で、いわゆる「凶器として使える本」のひとつと言えるでしょう。

他にも、有名な本ではトマ・ピケティの『21世紀の資本』も凶器としてちょうど良い大きさ、重さだと思います。

私は学生時代に『正義論』を何度か図書館から借りて部分的に読んだことはありますが、全体を通して読んだことはありません。

 

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話を戻します。

さて、

この「無知のヴェール」、その内容としては以下のようなものです。

 

まず、ロールズが想定している状況というのは、社会のルールについての合意形成の場面です。

現実ではその国のその時代の政治制度に則り、手順に従ってルールや制度が形成されていきます。

ある一つのルールが万人にとって有益であるということは少なく、むしろある立場の人々にとっては正しいあるいは有益で、別の立場の人々にとっては正しくないあるいは不利益という場合がほとんどだと思います。

実際、正不正や有益不利益というものは、完全に公正・公平な視点からの判断によってというよりは、政治的な力学、力関係によって左右されるものです。

月並みな議論で言えば、日本の政策が高齢者有利なものになりやすいのは、有権者の人数比や投票率の多さなどの点で高齢者の方が政治的に優位な力関係にあるというものがあります。

 

 ▼

 

ロールズが考えているのは「なるべく公正・公平に社会のルールについて合意形成するにはどうすればよいか?」ということです。

そして、ここでロールズが導入した概念装置が「無知のヴェール」です。

この「無知のヴェール」は、あらゆる人が自らそして他者についてのアイデンティティに関わる知識・情報を完全に覆い隠し、奪ってしまう存在です。

ここでいうアイデンティティには、「人種」「社会階級」「性別」「年齢」「宗教」「職業」「資産」「能力」などなど、本当にたくさんのものが含まれます。

そういったアイデンティティに関わるすべての知識が失われた状態を「原初状態」と呼びます。

つまり、「無知のヴェール」はこの原初状態をつくりだすための実験装置と言えます。

 

そしてこの「無知のヴェール」によってつくりだされた原初状態でこそ人々は最も公正・公平に合意形成をすることができるとロールズは考えました。

というのも、「無知のヴェール」に包まれた状態で合意形成する場合、多くの人が「自分はもしかしたら社会的に不利な立場の人間かもしれない」と考えて、社会的に不利な立場にある人たちを配慮した決定を選択する可能性が高くなります。

このように、「無知のヴェール」が公正・公平な合意形成に資する可能性があることをロールズは示しました。

「無知のヴェール」で考えられている状況は実際には実現しえないものなので、これはあくまで思考実験であり、また人間観の提示だと考えられます。

 

 ▼

 

今日は、ジョン・ロールズの「無知のヴェール」という哲学上のキーコンセプトをご紹介しました。

この議論は思考実験であるとともに人間観の提示であるともお伝えしました。

つまり、ロールズの人間観では、人間は「無知のヴェール」によってアイデンティティの失われた状態では、「自分は不利になるかもしれない」という心理状態になると考えられています。

おそらくこの人間観にはさまざまな批判があると思います。

 

皆さんはどのようにお考えになりますか?

「無知のヴェール」によって人間はどのような意思決定をすると思いますか?

ああ、学ばな。。。

※ブログ更新※オフサイドラインは超えたほうがいい:トライして、ジャッジしてもらう

 

こんにちは、髙橋です。

 

「オフサイド」という言葉を聞いたときに何をイメージしますか?

 

今だったら、ラグビーにおけるオフサイドというルールを思い浮かべる人もいるかもしれません。

ただ、一番イメージしやすいのはサッカーにおける「オフサイド」ではないでしょうか。

サッカーにおけるオフサイドを一言で申し上げるとすると、

「相手のディフェンスラインより後ろでパスを受けてはいけない」

という表現になりますでしょうか。

正確には、他にも補足が必要なのですが、一般的な理解という点ではこれで十分だと思います。

ただ、言葉で説明されてもわかりずらいルールなので、図や映像で理解するほうが圧倒的に早いと思います。

図で考えると下のようになります。

「オフサイド 解説」の画像検索結果

また、Youtubeで「オフサイド 解説」などと検索すればたくさんの動画が見つかると思います。

 

しかし、

今日は「オフサイドについて解説するぞ」という投稿ではありませんので、このルールの詳しい内容についてはもう書きません。

ここで確認したいのは、

オフサイドというルールが、「この線(オフサイドライン)を越えたらダメ」という意味を持っているものであるということです。

 

そして、今日お伝えしたいことを結論から申し上げると、

「オフサイドラインは超えたほうがいい」ということです。

また、これは仕事にも当てはまることだと思っています。

 

 ▼

 

実は、私は高校生までサッカーをやっていて、しかもポジションがフォワードだったので、常にオフサイドを気にしながらプレーをする立場にありました。

また、サッカーでは当然相手のゴールに近づけば近づくほど、また相手のディフェンダーがいない場所に行けば行くほど、得点のチャンスが大きくなります。

 

つまり、

オフサイドをぎりぎりでかいくぐりゴールに近づけば、得点できる可能性がグンと上がります。

フォワードというポジションは試合中常にこのオフサイドになるかならないかのライン、つまりオフサイドラインとの駆け引きをすることになります。

しかし、このオフサイドラインは相手の動きによって常に変動しているものなので、一回見てあとは変化しないというような単純なものではありません。

常に上下するオフサイドラインを気にしながら、仲間からのパスのタイミングを図ります。

また、上の図やサッカーゲームの俯瞰視点のモニターなどがあればリアルタイムのオフサイドラインと自分の位置がわかりますが、当事者としてピッチに立っている場合は自分の視界や体の向きなどの関係で、状況にいて認識できる部分が限られるので、オフサイドラインを完璧に把握することはできません。

 

しかし、オフサイドにならない安全なポジションに居続けていては、ゴールには近づきにくく、またチャンスを得られる確率は低くなってしまいます。

そのため、オフサイドになることをある程度覚悟して相手ディフェンスの裏に飛び出すこともあります。そして、結果的にホイッスルが鳴って、反則というジャッジになることもあります。

 

しかし、そのオフサイドによってわかることがたくさんあります。

相手ディフェンスや審判についての情報を得ることで、それを次のチャンスに生かすことができます。

そのようにオフサイドになったことを糧にして、

つまり試行錯誤の結果として絶好のゴールチャンスにたどり着きます。

 

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オフサイドのぎりぎりに挑戦し、失敗から学んで、次に生かすということ。

このことは仕事の場面でも同じ側面があると思っています。

 

ここで重要なのは次の2つです。

①トライしていること

②判断(ジャッジ)してくれる他者がいること

 

①トライしていること

オフサイドラインとの駆け引きに勝ちゴールチャンスをつかむには、オフサイドぎりぎりに挑戦しなければなりません。そしてたとえ反則になってもそれが次に生きてきます。

仕事の場面で言えば、難しいことにチャレンジしていること。今の自分で安全安定にできる範囲を超えたことに挑戦し、何がうまくいき、何がうまくいかないのかということを明らかにしていきます。これはトライしているからこそのものです。

しかし、トライしただけではそれが良いのか悪いのかということが判断できません。

そのため、次のことが重要なのだと思います。

 

②判断(ジャッジ)してくれる他者がいること

オフサイドは自分自身で判断するのではなく、他者である審判によって判断されます。他者からの視点で自分をジャッジしてくれることで次に生かすための重要な情報が手に入ることになります。

自分のトライしていることやそのやり方が良いのか悪いのか、合っているのか間違っているのか、そういったことをフィードバックしてくれる他者の存在が重要になります。

このような他者からの判断やフィードバックは、仕事の場面で言えば、「上司」や「顧客」などから得ることができます。

 

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今日は、サッカーのオフサイドというルールから、挑戦し、失敗から学んで、次に生かすということについて考えました。

そこでは、次の二つのことが重要になります。

①トライしていること

②判断(ジャッジ)してくれる他者がいること

これは①だけでは独りよがりな行動になってしまって、間違った方向に進んでいてもそれに気づくことができません。

また、②だけあってもダメで、①の挑戦がなければ何も始まりません。しかし、②があるからこそ①を行動に移せるという部分はあるかもしれません。

 

以上のことを踏まえ、繰り返しになりますが、

「オフサイドラインは超えたほうがいい」と思います。

よし、学ばな。。。

※ブログ更新※グルーのパラドクスとは何か?:昨日までグリーンであり、今日からブルーである色!?

 

こんにちは、髙橋です。

 

皆さんは「グルー」という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?

 

多くの方はミニオンズ映画でおなじみの怪盗グルーを思い浮かべるのではないでしょうか。

私もそうです。

 

ただ、

私にはもう一つ思い浮かべる「グルー」があります。

怪盗グルーは「gru」ですが、

一方のグルーは「grue」と書きます。

 

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哲学の世界の中での比較的有名な議論で「グルーのパラドックス」というものがあります。

私は大学で哲学を専攻していた際に講義で知りました。

ユニークな発想の面白い議論なのでご紹介してみたいと思いました。

なお、私自身この分野の哲学にすごく詳しいということでもない(むしろ苦手分野な)ので、詳しく知りたいと思った方は、「グルー パラドックス」でググってみてもらえると助かります。

以下では、簡単にこの議論についてご紹介したいと思います。

 

 ▼

 

まず、「グルーのパラドックス」は20世紀アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンによって提起された議論です。

哲学史的な分類で言えば、19世紀末から英米を中心に発展してきた「分析哲学」の流れの中に位置づけられます。

分析哲学は論理学や言語哲学の発展に起源を持つ哲学領域であり、

特徴としてはそれまでの哲学の歴史がこだわってきた「唯一絶対の真理」のようなものを追い求める探求を排し、思考を論理的に分析し、明晰にしていくという立場をとります。

そのため、分析哲学の研究では言語学研究のように言語の仕組みを探究したり、自然科学の研究のように記号や数字ばかりのもののあります。

分析哲学は、論理の剣を手に取り長い哲学の歴史に向けて振りかざすのです。

 

 ▼

 

ネルソン・グッドマンの唱えた「グルーのパラドックス」は、帰納法という推論方法についての疑念を表明したものでした。

帰納法は、論理的推論方法のひとつです。

例えば、次のような推論は帰納法とされます。

 

a1はPである

a2もPである

a3もPである

a4もPである

(以下続く)

よって、(おそらく)すべてのaはPである。

 

帰納法は個別なもの(a1,a2,a3,a4…)から出発して、一般的・普遍的結論を導き出す推論方法と言われます。

実際において、観察や実験によって個別な事象から結論を引き出すプロセスを踏んでいます。

つまり、いわゆる自然科学は基本的にこの帰納法という推論に基づいています。(もちろん、仮説設定段階では演繹法という別の別の推論を使っていることも多いですが、根拠としては帰納法的な検証が不可欠とされているでしょう)

 

 ▼

 

「グルーのパラドックス」は上記のような帰納法という推論方法に対して投げかけられた議論でした。

以下のようなものです。

 

a):今まで見つかったエメラルドはすべてグリーンであるとする

 →エメラルド1はグリーン,エメラルド2はグリーン・・・(これまですべてのエメラルドはグリーンであるという証拠)

 

b):a)から、すべてのエメラルドはグリーンであるという仮説を主張する←証拠は実際にこれを支持(証明)するように見える

 

c):ここで、「グルー」という言葉を導入し、それを「ある時点tまではグリーンであり、tより後はブルーである色」とする。すると、先ほどの証拠はこれまですべてのエメラルドはグルーであるという証拠でもあることになる。

 

d);そこで、すべてのエメラルドはグルーであるという仮説を主張する

 

e):以上から、証拠が「すべてのエメラルドはグリーンである」と「すべてのエメラルドはグルーである」という二つの仮説を支持することから、tより後に見つかるエメラルドについて、「グリーンである」という主張と「ブルーである」という主張は同程度に正当なものと考えられる。

 

以上が「グルーのパラドックス」の概要です。

(私のほうで間違いがなければこのような議論です)

 

いかがでしょうか。

このネルソン・グッドマンの「グルーのパラドックス」は正しい議論と考えられますか?

また、どんな批判が考えられると思いますか?

「グルーのパラドックス」については提唱されて以降も様々に批判や批判への反論がされているそうです(そこまで詳しくは調べてはいないので、気になる方はググってください)

 

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ちなみに、グッドマンがこの議論について著している書籍は“Fact, Fiction, and Forecast”という超かっこいいタイトルの本なのですが、翻訳書は『事実・虚構・予言』(勁草書房)という直訳の微妙なタイトルで出版されています。

 

ちなみに、ちなみに、

Google Scholarで「nelson goodman」で検索していただければ、この“Fact, Fiction, and Forecast”という書籍が上位に表示され、PDFで全文がご覧になれます。

「グルーのパラドックス」についての議論はp.72~展開されています。

(“Fact, Fiction, and Forecast”)

よし、学ばな。。。

※ブログ更新※お久しぶりのメルロ=ポンティ先生:果たして私は読み進められるのだろうか?

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日は、ベーグル屋の店舗スペースを使って、生協の「生活クラブ」さんとのコラボ試食会でした。

manana bagelからは、「生活クラブ」さんのウィンナーを使ったミニベーグルドッグを販売しました。

9月に第一回を開催して、今日は第二回の開催でした。

前回よりもたくさんの方々来てくださり、作ったベーグルドッグも完売しました。

この試食会は「生活クラブ」さんが会員さんを増やすためのキャンペーンとして行っているもので、なかなか試食会を実施する場所がなくて困っているということを相談いただいたことから始まりました。

今後も、引き続き定期的に開催していければと思っています。

 

 ▼

 

最近は、

読書が研究計画や勉強会に必要な書籍や論文がほとんどになっていて、なかなかま単純に読みたいと思う本を読むことができていません。

ただ、私的には、

長いスパンで見たときには、イマ目の前にあることのための読書に終始することはあまり良い傾向ではありません。

私の場合は、人文科学領域の本を読んでいないと「なんかヤバい」という焦りがふつふつと沸いてきます。

 

そんなわけで、

今読んでいるのがメルロ=ポンティ先生

ちくま学芸文庫の『メルロ=ポンティ・コレクション』です。

この本は20世紀の著名な哲学者であるメルロ=ポンティの諸著作から重要な文章を集めた、論文集です。

 

メルロ=ポンティは20世紀フランスの哲学者で、哲学の中でも主に「現象学」の領域で活躍しました。

彼の哲学は「両義性の哲学」と呼ばれ、人間の「知覚」や「身体」を起点に思想を展開しました。

 

(モーリス・メルロ=ポンティ)

 

実は、私はメルロ=ポンティが全くもって得意ではありません。

むしろ、苦手と言っていい。

美味しくて甘~いスイーツみたいな名前とは裏腹に、読み手にとっては蒙古タンメンみたいな辛さがあります。

 

学生の頃に彼の『行動の構造』という本を読んだがまったくわけがわからず、哲学史本を読んでもメルロ=ポンティの思想がよくはわからず、それ以来遠ざけてきたのが正直なところです。(反省)

 

しかし、

最近、人材開発やその背景(源流)となる思想にアクセスするうちに、また現象学やメルロ=ポンティの「両義性の哲学」に興味を持つようになり、少しづつでも読み進めたいと思って購入しました。

何か面白い出会いがあるといいなと思いつつ読んでいきたいと思います。

 

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最後にメルロ=ポンティの「両義性の哲学」を象徴するような命題を紹介します。

「触れる身休と触れられる身体としての両義性」

例えば、

私が自分の両手を合わせるとき、

私は触れている存在なのでしょうか、それとも触れられている存在なのでしょうか。

こう言い換えることができます。

私は主体なのか、客体なのか。

この主観と客観が交わるきわめてあいまいな存在性、ここがメルロ=ポンティの思想の出発点となります。

『行動の構造』を読んだ時もそうでしたが、メルロ=ポンティの語り口はたいてい、私たちがリアルに感じられる事象や医療的な事象から概念を分析していく傾向があります。

「イマココ」を重視する現象学らしさがしっかりとあり、現象学を学ぶためのよい機会にもなると思っています。

 

とはいえ、

とても難しい本であることは間違いないので、

あせらず、

少しスローに読みしめていきたいと思います。

 

ああ、学ばな。。。

※ブログ更新※「働かない50代問題」に思うこと:退屈とうつ

 

こんにちは、髙橋です。

 

最近話題のネットの記事でトヨタも悩む新50代問題 もうリストラでは解決できない」という特集があります。

そのパート1では、「「終身雇用難しい」発言の舞台裏 トヨタ社長が焦るワケ」と題し、トヨタ自動車の労使双方への取材から明らかとなった「働かない50代問題」が報告されています。

 

記事によると、トヨタにはいまだに年次昇格枠が設定されており、そのため出世する道筋がわかりやすい状態にあるそうです。

例えば、40歳手前で課長に、40代後半で部長というのが基本的な出世コースというものらしく、「このコースから外れると挽回はほぼ不可能」とのこと。

そして、問題の50代については次にような語りが紹介されています。

 

「あぶれた50代も肩書が付く場合があるが、部下はいないし、与えられる仕事も大きくない。相当モチベーションは下がっている。それでも年収で1200万円はもらっているから誰も辞めない」と40代社員は言う。

 

確かに、

社内でも高給取りの50代社員が大した仕事もせずモチベーションも低い状態と言うのは会社にとって大きな損です。

その分のお金で優秀な若手を2人は雇えます。

しかし、

日本の解雇規制や日本の終身雇用の象徴でもあったトヨタとしてはなかなかバッサリとはいけないものです。

最近は、大手企業を中心にある年代以上の社員から希望退職を募ることが増えてきていますが、それはそれで本来残ってほしい人材が辞めて、そうじゃない人材が残ったり、ターゲットを定めた社員を希望退職に応募させるように画策したりなどさまざまなダークな苦労を伴います。

トヨタに限らず、この働かない50代(あるいは働かないおじさん)問題には今後も多くの企業が苦悩すると思います。

 

と、ここまで会社側への不利益について書いてきました。

しかし、加えて考えたいのが働かない50代と呼ばれてしまっている当の本人についてです。

彼らは、世代的に20代、30代の体力や気力にあふれていたころ、猛烈に働いて会社の成長に貢献してきたことでしょう。

それこそ、家庭など顧みずに。

しかし、40代でキャリアの節目を迎え、出世コースに乗ることができなかった。

そして、50代の今、それほど重要な仕事を任されることもなく、モチベーションが低い状態で毎日働いています。

若いころ企業戦士として猛烈に働いてきた彼らにとって、今の状態はものすごく「退屈」なのではないでしょうか。

もちろん、1日中やることがないという状態に置かれるという人は少ないでしょう。しかし、自分の今後に資する良い経験をもたらすようなチャレンジングな仕事をできるような環境に置かれる可能性は少ないということだと思います。

 

この退屈さというものが本人の精神衛生上よくないのではないかと思わずにはいられないのです。

例えば、「定年後うつ」という言葉があります。

これは、主に定年後の男性がそれまでの会社員生活の終了とともに、日々のやるべきことやそれを果たす責任感などがなくなり、喪失感の中で徐々に生活への活力をなくし、何もやる気が起きなくなったり、不眠症になったりすることを指しています。会社の中で長い時間を過ごしてきた中高年男性は人間関係が会社内で完結している人も多く、会社を離れることでやることがなくなるだけでなく、コミュニケーションを取る相手も一気に減少します。そのような定年という節目で生じる精神的な落ち込みを「定年後うつ」と呼ぶことがあります。

このことから推測できるのは、退屈さはうつを引き起こす可能性があるということです。

 

話を「働かない50代問題」に戻すと、ここで問題とされているような人たちも上のようなうつを発症する定年後の人たちと同じように、ある種の喪失感を抱えるのではないかということです。

遮二無二働き、会社に貢献してやりがいある仕事をしていたころと比べて、やりがいのある仕事を望めども与えられず、今の仕事を一生懸命こなしたところでその評価が将来につながるわけでもない。

彼らも大きな喪失感を抱えるのではないでしょうか。

この「働かない50代問題」はトヨタに限らず日本全体にとっても大きな問題でしょう。

またそれは会社にとっての経済合理性といった点だけではなく、当の本人たちの精神衛生に関わる社会問題でもあると思えてなりません。

(以上は、私の勝手な仮説ですのであしからず)

 

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今日は「働かない50代問題」について、退屈さがうつを引き起こす可能性について考えてみました。

この「退屈」の問題は今後の人類にとって重要な意味を持っています。

例えば、今後AIやロボットがさらに発展、普及するなかで、人間が「やるべきこと」ではなく「やりたいこと」に時間を使う社会になったとき、「○○をやりたい」というモチベーションを持たない人間は「退屈の刑」にかけられることになるかもしれません。

 

ああ、学ばな。。。

※ブログ更新※なぜ上司はタスクメーカー化するのか?

 

こんにちは、髙橋です。

 

台風19号が過ぎ去りました。

当方は家もお店もほとんど被害は出ず、心配していた店舗外の幌もそのままで無事でした。

前回大きな被害をもたらした台風15号は、電信柱が倒れたことによる停電など風による被害が多かったですが、今回は降雨による被害が大きいようです。

 

しかし、台風の恐怖に日本中がおびえた1日が明けた13日にラグビー日本代表がスコットランド代表に勝利したことは日本中に元気を与えてくれたと思います。

いや、ほんとうに強いですね。これから先の試合が楽しみです。

 

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今日はタスクメーカー上司について考えてみたいと思います。

 

タスクメーカー上司とは、仕事を無駄に増やす上司のことです。

タスクメーカー(Task Maker)=仕事製造者

 

皆さんの職場にも無駄に仕事を増やしている上司はいませんか?

あるいはあなたは無駄に仕事を増やす上司ではありませんか?

 

「なんで忙しいときに、こんなしょうもない仕事振ってくるんだよ」とか、「別に時間はあるけど、この仕事何の意味があるの?」と思ったことはありませんか?あるいは誰かが言っているのを聞いたことはありませんか?

そうです、その製造元がタスクメーカー上司なのです。

 

「働き方改革」のこのご時世にそんなわけないでしょ、むしろ仕事をドンドン減らしていく時代ですよ、と思われるかもしれません。

しかし、むしろ働き方改革が進むことで上司がタスクメーカー化しやすくなっていると私は思っています。

 

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なぜ上司がタスクメーカー化するのか。イマ考えて思い浮かぶ理由が二つあります。

1.管理職を監視職と思っているから

2.部下の手持ち無沙汰=悪と考えているから

 

1.管理職を監視職と思っているから

ここで言う上司とは主に管理職以上の、マネジメントを主たる業務とする人々のことを指します。

彼らは部下を監督することが重要な職務とされています。

それは本来、「他人の力を通して目標を達成する」ことであるはずです。

しかし、その過程の中では部下の仕事の進捗や仕事の出来栄えなどを確認するようなことが大半を占めるようになります。

そうなるとだんだんと、確認すること=自分の仕事と錯覚するようになり、最終的には部下を監視(モニター)することが主たる職務になってしまうのです。

管理職ならぬ、監視職です。

そして、監視職化した上司はなるべく効率的に部下を監視するために新しい仕組みを生み出します。

「日報に新しい項目追加したからよろしく」

「○○業務のチェックリスト作ったから、今度から進捗を記録して毎週の課会で報告、提出してね」

と言った具合です。

何らかの基準を設けることで監視力の強化や効率化を図ります。

このように、管理職を監視職と思ってしまうことから上司はタスクメーカー化してしまいます。

 

2.部下の手持ち無沙汰=悪と考えているから

上の監視職と通ずる部分もありますが、こちらもあるあるです。

部下を監督する立場にある上司にとって部下の労働時間をコントロールすることは重要なタスクのひとつです。

働き方改革が叫ばれる現在、まず第一に優先されるのは残業の削減でしょう。

部下の残業をなくすために部下の仕事を巻き取り、疲弊している世のマネジャーのなんと多いことか。

しかし、部下に時間の余裕があったらあったで、上司の上司から以下のように言われてしまうのです。

「君の部署の○○さん、最近業務時間中に暇そうにしているように見えるけど、ちゃんと仕事与えてんのか?部下の管理はお前の仕事だぞ。」

そうなんです。

仕事を効率化して、より少ない時間で業務をこなせるように改革すると、それはそれで問題になってしまうのです。つまり、管理職である上司にとっては部下の手持ち無沙汰は悪であり、非効率な部分として映るのです。

これは、管理職である上司(たち)は厳密な労働時間管理の範囲外にあるのに対し、法律上の労働時間管理を厳密に適用される部下という仕組みが背景にあります。

上司にとっては、8時間勤務なら8時間、7時間半勤務なら7時間半の所定時間分しっかりきっちりと仕事させることが重要な職務だと思われているのです。

そのため、働き方改革が進んで仕事に時間の余裕が生まれるとき、むしろ上司はタスクメーカー化します。

「(○○君、最近少し暇そうにしてる時あるな、じゃあ)○○君、倉庫の奥にある古い資料を電子化しておいてくれる?特にすぐに使う予定はないんだけど、まあ念のため。悪いんだけどさ、うん、念のためだから。」

このように、上司は部下の手持ち無沙汰を認識したときタスクメーカー化するのです。

 

 ▼

 

今日は、なぜ上司はタスクメーカー化するのかを考えてみました。

上司がタスクメーカー化する理由として、

1.管理職を監視職と思っているから

2.部下の手持ち無沙汰=悪と考えているから

という二つが考えられます。

たぶん他にもいろいろな理由があると思います。

 

一つ言えると思うのは、

タスクメーカー上司は部下から見たときほぼ間違いなく「嫌な上司」だということです。

特に、以前よりも短い時間で以前と同じ仕事量を処理しなければならなくなっている部下や、一つひとつの仕事に自分がその仕事をやる意味ややりがいを求める若手社員の部下にとっては相当嫌われるのではないでしょうか。

 

皆さんの職場にタスクメーカー上司はいませんか?

あなたはタスクメーカー上司ではありませんか?

さあ、学ばな。。。

※ブログ更新※ベーグル屋と台風への備え

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日はベーグル屋と週末にやってくる台風について少し。

 

ベーグル屋は5月1日のオープンからすでに5カ月と少しが経ちました。

早いもので、今月末で6ヵ月、つまり半年経つということになるのですね。

とはいえ、まだ半年です。

店舗併用住宅ということもあり、そもそもお店自体は最低20年くらいは続けられるように計画しているので、そう考えるとまだまだ先は長いです。

 

ただ、幸いなことに、

着実に常連さんと呼べる方々がついてきており、母も常連さんたちとのコミュニケーションを楽しんでいるようです。

 

まだ少し先の話ではありますが、

数年以内に定年になる父もお店にジョインすることになると思います。

 

母とも話すのが、「まずは1年」ということです。

区切りが良いということもありますが、

食品系は季節や気温によって食材やお客様の入りや反応も変わる商売だと思っているので、

まずは1年やってみて、もっといろいろなことがわかってくるのではないかと思っています。

 

最近では、定休日の店舗スペースを生かして、生協の「生活クラブ」さんとコラボした試食会イベントなどを月1回くらいのペースで始めています。

そういった活動も通してベーグルはもちろんのこと、それ以外の価値もお客様や地域にお届けできるように、お店も少しずつ変化や進化をしていければと思っています。

 

 ▼

 

台風19号、明日のお昼ごろから夜にかけて関東地方をもろに直撃する予報となっていますね。

千葉県に大規模停電をもたらした前回の台風よりも大きく、かつ強力な勢力で迫っているそうで、「地球史上最大級」なんて言われています。

前回の台風では、私の住んでいる鎌ケ谷市は大きな被害をなかったのですが、今回は予測進路を考慮すると、何らか大きな被害、停電や断水が発生する可能性が大きいと思います。

もちろん、備えとしての一通りの対応はしますが、問題はお店の方です。

お店の外の「幌」と言われる部分、下の写真左上の青い部分ですが、

この部分が風をもろに受けてしまって、軸ごと吹っ飛ぶんじゃないか?という不安があります。

一応、幌の幕は紐でついているだけなので、取ろうと思えば取れるのですが、専門業者の方につけてもらったものなので、素人が取って付けてをおいそれとできるものなのか。また、幌を取るとその分いつも風雨にさらされていない部分がさらされてしまうので、そちらも大丈夫なのかという両方の不安もあります。

今日はこれから父も鎌ケ谷に来るので、家族会議をすることになると思います。

 

今日はベーグル屋のほうと、台風への備えについて少しだけ。

皆さまも台風にお気を付けください。

 

万一、台風の影響で停電となり、それが長引いた場合はブログの更新が滞る可能性があります。

何事もなく月曜にブログ更新できることを切に願います。

 

それでは。

ああ、学ばな。。。

※ブログ更新※なぜイマドキの若者は「仕事へのやりがい」を求めるのか?

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日は早朝ブログを書いていましたが、家を出なくてはいけなくなって書き途中のまま一旦保存したのですが、そのあと中原先生の今日のブログを見たら自分が書き途中だったテーマと同じで驚きました!

中原先生の今日のブログは↓

「最近の若者がフィードバックを求める」のは「右肩上がりにグングン進む大きなちゃぶ台」が失われているからである!?

 

自分は特にフィードバックに言及しませんが、その背景にある若者像はかなり共通していると思います。

ただ、私と中原先生では文章力が「女神と鬼ばばあ」ほどに差がありますので、↓の私の文章を読むよりも中原先生のブログを読んでいただいたほうが有益だと思います。。。

 

ちなみに、、、

今日はラーンウェル関根さんからご案内いただいた「情動知性×リーダーシップ」研究会@立教大学に参加しておりました。(ありがとうございました!)

大変学び多き研究会でしたので、また別の機会に共有できればと思います。

 

それでは、本題に入りましょう。

 

 ▼

 

最近の若いビジネスパーソンは、仕事への動機付けとなる要素として「金銭」を上位に位置づけることが少なくなったと言われます。

また特に、

若手の中でも優秀層と言われるような人たちにその傾向が強いという印象があります。

 

例えば、

就活時に重視している点として、

1位が休日や労働時間などの「働きやすさ」、

2位が「仕事へのやりがい」、

そして3位にやっと「金銭」が入ってくるといった調査結果もあります。

 

ここで、

働きやすさについては、社内制度や働き方改革の進捗度など、ある程度会社全体の動きに左右される部分が多いと思います。

そのため、

仕事現場で新人を指導したり、マネジメントする立場の方々として特に注視しなければならないのは「仕事へのやりがい」でしょう。

 

この「仕事へのやりがい」、

ベテランビジネスパーソンからは、

「何がやりがいだ、、、そんなもん仕事の経験を積んで、修羅場をいくつもくぐり抜けてから言うもんだ!まだ20代そこそこでナマ言ってんじゃねぇ!」

「そもそも仕事にやりがいなんか求めるな、仕事はガマンだ!」

というお叱りを受けるかもしれません。

 

しかし、

アンケート結果や色々なお話からすると、若者たちが仕事にやりがいを求めているのは間違いないと思います。

では、

そもそもなぜ今若者たちは「仕事へのやりがい」を求めるのか、その背景を考えてみましょう。

 

 ▼

 

ひと昔前は、比較的社会や経済が安定し、変化の少ない状態が続いていました。

しかし、今の若手ビジネスパーソンが生まれた1990年代からは常に不況と言われているのを聞きながら育ち、また盤石と思われた名だたる大企業の没落を見てきました。

そして現在はどうか。

安定するどころか、VUCAという言葉に代表されるような、なお一層変化の激しい社会へと突入しています。

 

また、

以前の安定していた社会では金銭、収入が自分と他人を比べる有効なバロメーターとして機能していました。加えて、相当な異常事態が生じなければ今の年収がそのまま徐々に増加していくだけとわかっていたので、そこに「確かさ」がありました。

しかし、

これまでの異常が異常ではなくなり、変化が常となった現代では、今の会社が数年後も同じような売り上げを維持し、収入が安定して上がり続けるということに以前のような確かさがなくなっています。

 

すでに、

自分を支えるよりどころが会社ではなくなっている、

あるいは、

会社に依存するのは危険であるという認識が広まっています。

 

 ▼

 

若者たちは〇〇会社というような所属の持つパワーよりも、

これからの時代に通用する個人に紐付いたパワーを求めているのだと理解しています。

 

とはいえ、

今すぐに起業したり、フリーランスとして仕事をもらえるような能力やコネクションを持っている人は限られているので、そのような思いは抱きつつも多くの人は企業へ就職します。

この自分という個人に紐付いたパワーを求める思いが「仕事へのやりがい」に表れているのではないでしょうか?
やりがいはつまるところ「私にとってのやりがい」ですので、私という個人に実りのある仕事がしたいということです。

 

彼らにとっては、

やりがいのある仕事をすることが自分自身の成長につながり、

その成長が自分自身という個人に紐付いたパワーをもたらし、

そのパワーがイマという変化の激しく不確実性の高い時代を生き抜くチカラになる、

ということなのではないでしょうか。

 

 ▼

 

今日は今の若者が求める「仕事へのやりがい」というトピックを取り上げ、その背景を探りました。

たまたま、今日のブログは中原先生のブログの内容とカブりました。

(中原先生もおっしゃっていますが、以上の若者像は仮説です。)

 

このような若者像は正直私も実感としてありますし、実際に大学生と話す機会があるとそのような意識が本当に高まっていることを毎回感じています。

またの機会に、そのような若者を指導する先輩や上司はどのような点に留意すべきなのかということを考えてみたいと思っています。

ああ、学ばな。。。