※ブログ更新※アンラーニングとは何か?:アンラーニングすることのつらさを理解することがアンラーニングを仕掛ける第一歩

※ブログ更新※アンラーニングとは何か?:アンラーニングすることのつらさを理解することがアンラーニングを仕掛ける第一歩

 

こんにちは、髙橋です。

 

 

今日は少しアンラーニングについて考えてみたいと思います。

アンラーニング(Unlearning)は、日本語では「学習棄却」と表現されることが多く、ひと言で申し上げるのならば「慣れ親しんだ行動・習慣・考え方を変えること」です。

 

少し前の話になるのですが、複業について扱ったワークショップの中で、ある大学職員の方と「アンラーニングしてますか?また、アンラーニングする必要があると思いますか?」的なテーマで話し合う機会がありました。

私は、「先に捨てちゃったほうが、新しいものが入れやすいって考えるタイプなので、アンラーニングしてるほうだと思います」といったことをお伝えしたと記憶しています。

その大学職員の方は、「自分が学んできたものや積み上げてきたものは捨てたくないです。アンラーニングする必要性もよくわからない」といったことをおっしゃっていました。

 

このようなお話を伺っていて私が思ったのは、

「アンラーニングは必要だ!アンラーニングしろや、ゴルァ!!」

ということではありません。

 

私が思ったのは、

「アンラーニングは個人として抵抗感を持つことは多いだろうなぁ・・・」

ということです。

 

アンラーニングは心理的抵抗を伴うものなのです。

当然です。

これまで長い期間をかけて作り上げてきたもの、信じてきたものを変えること、捨てることは誰でもいやです。

「これまでの自分を否定している感じ」がしたり、「いままでの時間が無駄になる感じ」がしたりします。

 

立教大学の中原淳先生は以前のブログで、アンラーニングを「染み付いちゃったものを、痛みをともないながら、変えること」と表現しておられます。

「アンラーニングとは何か?:「染み付いちゃったもの」をいかに変えるか?」

・・・やはりアンラーニングはつらいもののようです。

 

個人がアンラーニングをすべきか否かということは、正直どちらでもいいと思います。

しかしながら、組織として人にアンラーニングさせなければならない場合があります。大変なのはこちらの場合です。

企業の人事部門や人材開発部門におられる方、特に経験学習サイクルを回すタイプの教育プログラムや研修などを企画・運営されている方は、社員にアンラーニングさせる必要があると思われます。

 

その際に留意しなければならない、忘れてはならないのは、

上記の通り、アンラーニングは本人にとって痛みを伴うものである、ということです。

このことを考慮せずに、無理やりアンラーニングを押し付けてしまえば、学習への反発や拒否を招いてしまうかもしれません。

押し付けられたアンラーニングはとても気持ち悪い。

だから、

自分で決めて主体的にアンラーニングする環境や仕掛けをつくることが人事側の重要なミッションなのでないでしょうか。

 

 

今日はアンラーニングが心理的抵抗や痛みを伴うものであることをお話しました。特に、「じゃあ、何をどうすればいいの?」という問いの答えを私が持っているわけではありません。むしろ、「その打ち手を考えるのはあなたですよ」としか言えないのかもしれません。すみません。

私は今後、中途採用者の育成という文脈でアンラーニングをもっとよく知り、考えていきたいと思っています。

 

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

―「大人の学び」7つの行動―(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動① タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動② 本を1トン読む

行動③ 人から教えられて学ぶ

行動④ 越境する

行動⑤ フィードバックをとりに行く

行動⑥ 場をつくる

行動⑦ 教えてみる

今回は行動③です。冒頭にある大学職員の方のお話のおかげで、アンラーニングについて気づきや学びを得られました。

ああ、学ばな。。。

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