※ブログ更新※【ベーグル】千葉県の地域情報誌「月刊ぐるっと千葉」さんから取材を受けました。本日8月21日発売です!

※ブログ更新※【ベーグル】千葉県の地域情報誌「月刊ぐるっと千葉」さんから取材を受けました。本日8月21日発売です!

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日はベーグル屋のmanana bagelについてお知らせです。

 

先日、千葉県のグルメ情報やお出かけスポット情報などを発信している雑誌「ぐるっと千葉」さんから取材を受けました。

当店の情報が掲載されているのは、本日発売の「月刊ぐるっと千葉9月号」です。

今回号は偶然にもカフェ特集でベーグルとも相性バッチリだったのですが、当店はカフェとしてではなく、県内に新しく開店したお店を紹介する「NEW OPEN」という特集で取り上げていただきました。

 

こちらの雑誌です。↓

(掲載ページの画像はぼかしてありますが、2~3ページめくっていただくと当店の情報が載っています!)

 

↓ ↓ ↓

 

 

 

↓ ↓ ↓

 

当店のおすすめメニューなどの情報がちょっぴり載っています。

千葉県内の書店の他、スーパーの雑誌コーナーで売られております。

もし売られているのを見かけたら手に取っていただけると幸いです!

よし、学ばな。。。

※ブログ更新※「逃げる」なかで成長することの可能性:ハックルベリーフィンはくだりながらのぼる

※ブログ更新※「逃げる」なかで成長することの可能性:ハックルベリーフィンはくだりながらのぼる

 

こんにちは、髙橋です。

 

昨日の投稿では、仙台の母子心中事件を取り上げて、「逃げる」ことの難しさと「わがまま」という美徳についてお話しました。結局のところ、社会から受ける価値を内在化してしまうことで逃げずらくなってしまうから、わがままを美徳と捉える価値転換のようなものが必要かもしれないということです。

 

改めて考えると、「逃げる」っていうのは明らかにネガティブワードとして捉えられることが多いと思います。

ひとはネガティブと自己認識している選択肢を選ぶのはなかなか難しいと思います。

だって、自分に自分で言い訳するのがつらいから。他人に言い訳するのは嘘でもなんでも使ってやればいいけど、自分に自分で嘘をつくことは難しいから、そのつらさを回避できない。

 

じゃあ、「逃げる」ことがポジティブに捉えられるケースってなんだろう?って思うわけです。こういうときに現実世界のかっこいい具体例がスルッと出てくる有能さを私は持っていないので、結局、文字の世界に逃避してしまうわけです。

 

「逃げる」ことがポジティブに捉えられるケースってなんだろう?って考えたときに私の頭に浮かんだのは、マーク・トウェインの『ハックルベリーフィンの冒険』でした。

『ハックルベリーフィンの冒険』はアメリカ文学史で最も重要な文学作品のひとつだと思っていますが、同じ作者が書いた『トム・ソーヤの冒険』の方が有名だと思います。どちらもタイトルにある名前の少年が主人公なのですが、二つの作品の中の世界は共通世界であり、主人公二人は友達同士です。そのため、『ハックルベリーフィンの冒険』にもトム・ソーヤは出てくるし、『トム・ソーヤの冒険』にもハックルベリーフィンは登場します。

わかる人にはわかる例え方をすると、『トム・ソーヤの冒険』が『名探偵コナン』なら、『ハックルベリーフィンの冒険』は『まじっく快斗』というイメージです。笑

 

では、なぜ『ハックルベリーフィンの冒険』が「逃げる」ことをポジティブに捉えるための助けになるのかというと、本作において主人公ハックルベリーフィンは逃げながら成長しているからです。

本作をザックリと説明すると、物語はハックルベリーフィンは養子先にまでやってきたアル中の親父から逃げることから始まります。また、売られる間際だった黒人奴隷のジムを救い、彼とともに川を下って逃げていくのです。そして、川を下る中で様々な悪い大人たちとの騒動に巻き込まれながらも、ジムと協力しながらそれらをくぐり抜けて成長していくのです。

 

この物語において、主人公ハックルベリーフィンは「逃げる」存在です。

何から逃げているのか?

一つ目はアル中の親父です。これはある種「不条理」をあらわしていて、個人とは関係なく降りかかってくるものです。

二つ目は社会的な罪です。当時の社会では黒人奴隷はモノとして売買されており、当然そのジムを連れ立って逃げるのは社会的には罪となります。しかし、本来的には罪ではなく、それどころか正義なわけです。つまり彼は社会的に定められた罪、いわばレッテルに近いものから逃げているとも言えます。

 

ハックルベリーフィンは「逃げる」存在です。

しかし、彼は逃げるなかで成長していくのです。

さらに言えば、逃げるからこそ成長していく姿をマーク・トウェインは描いていると思います。もしハックルベリーフィンがアル中の親父から逃げていなかったら親父からお金をむしられていたでしょうし、黒人奴隷のジムが売られていくのを黙って見ていたら深くこころを傷つけたと思います。

ハックルベリーフィンは逃げることで生き延び、さまざまな困難を乗り越えて成長していったのです。

 

ハックルベリーフィンはくだりながら(逃げる・川下り)、のぼっている(成長する)といえます。

 

もちろんハックルベリーフィンは小説の主人公なので主人公補正がかかっていますが、すくなくとも「逃げる」ことをポジティブに捉えるためのきっかけを与えてくれると思います。

まあ、『ハックルベリーフィンの冒険』は単純に面白いので読んだことない人は是非一度読んでみていただきたいです。実は、子どもよりむしろ大人が楽しめる作品だと思っているのでおすすめです。

 

今日は『ハックルベリーフィンの冒険』というマーク・トウェインの小説を取り上げ、「逃げる」ことがポジティブに感じられるための可能性をお伝えしました。

 

私は、「好きな小説は何?」と聞かれたときに秒で思い浮かぶのが、今回の『ハックルベリーフィンの冒険』とドストエフスキーの『罪と罰』なのですが、よくよく考えるとどちらも主人公が逃げる小説です。

どうやら私は逃げるのが好きなようです。。。

 

 

ああ、学ばな。。。

※ブログ更新※お休み明け、気になったニュースについて:「逃げる」ことの難しさと「わがまま」という美徳

※ブログ更新※お休み明け、気になったニュースについて:「逃げる」ことの難しさと「わがまま」という美徳

 

こんにちは、髙橋です。

 

お久しぶりです。

夏休みというテイで、先週の月曜~金曜は投稿を控えておりました。

今日からまた再開したいと思います。

 

夏休みの間、本を読むだけでほとんどの時間を過ごしていました。

本を読み、プライムビデオで映画を見ては、本を読む。

ただただこれを繰り返していた。

私の傾向として、世の中的に外に出る雰囲気の時は徹底的に内にこもります。

もともとインドア派ではありますが、夏休みとかは余計にインドアになっちゃいます。

ただ、おかげで沢山の本を読むことができ、またちょっと難しい本にもチャレンジできました(そして敗北しました)。

 

 

 

今日は、最近気になったニュースについて書きたいと思います。

 

土曜日の朝、あるニュースに目を奪われました。

2018年11月に仙台で起こった母子心中事件の続報でした。

私は普段ニュースへの情報感度が低いので、このニュースで初めて知りました。

とても悲しい事件です。

 

この事件は、小学校2年生の娘へのいじめが原因で母子が無理心中したものです。母親は娘へのいじめについて学校や教育委員会に対応を求めましたが、十分な対応がとられなかったそうです。

母親が残している記録によれば、母親はいじめへの対応を求めるために何度も学校へ足を運んでいます。このことからも母親は娘を守るために必死だったということがうかがえます。

 

しかし、なぜ母子は死を選択しなければならなかったのか。

色々な意見があると思います。

・いじめをしていた児童たちやその親の教育が悪い

・学校や教委の対応が不十分だったから

テレビやネットのメディアの大部分はいじめ加害者やその親、そして学校や教委の対応に対し矛先を向けています。

しかし、いじめや学校の拙い対応は全国津々浦々、くさるほどありますし、これからもあり続けるでしょう。そのため、非常につらいものがありますが、死を選んだ側の心理そしてその社会的背景に目を向けなければならないと思うのです。

 

ある記事では、子どもをいかに育てるかが自身の評価や存在意義となってまう専業主婦という境遇が母親を追い詰めていったのではないか、と述べられていました。確かに、専業主婦やパート主婦の場合、職場という自分の居場所や評価軸が存在せず、家事や育児が主たる評価軸となります。しかし、家事は内向きでありかつ他者との比較が難しいため、社会的ではありません。一方で、育児はある程度外向きでありかつ他の家の子どもという比較対象がいるため、社会的に評価されると思われがちです。実際には、具体的に評価を受けるのは子どもだけで、親にABCなどがつけられるわけではありませんが、親は擬社会的評価を自作しがちです。また、家庭によりますが、父親が「子どもの評価=母親による教育の評価」と捉える場合もあります。

 

上のような意見はこの事件についての分析として納得できる部分が多いです。

しかし、まだ副次的なものに見えてしまうのです。

このニュースを見たときに私がまず思ったのは、「なんで逃げなかったんだろう、いや逃げられなかったのか・・・」ということ。

何から逃げられなかったのか。

あえて言葉にすれば、「まじめさ」「正解主義」「他者指向」といったものになりますでしょうか。

人間は必然的に社会的存在なので、生きていく中で自分以外の他人、社会からたくさんの影響を受けながら価値観を内在化していきます。それが、「まじめさ」や「正解主義」、「他者指向」といった傾向です。

これらの傾向は、平常時はまことに都合がいいのです。社会のゲームがこれらに基づいてコーディングされているので、まじめに振る舞い、正解を当て、他者とうまくやっていれば高い評価を得られるし、楽できるし、心地よく過ごせます。

しかし、平常時に役立つこれらの傾向や価値観は、異常時には逆の効果をもたらします。異常時とは不条理と言ってもいい。「まじめさ」「正解主義」「他者指向」に基づいて思考していると、どうしても平常時の範囲内でなにかしらの解決ができると思ってしまいます。そのような思考に陥っているときに、「逃げる」という選択をすることはとてつもなく高いハードルがあります。そもそも「逃げる」という選択肢が浮かんでこない場合が多いかもしれません。

最近、そういった悩みに向けて、「逃げること」や「逃げる力」の重要さが投げかけられているのを拝見することが増えてきたなと思います。それによって救われる方もおられるでしょう。しかし、「逃げる」ことが思考に入ってこないひとに「逃げろ」と声をかけても耳に入らないのでは?とも思います。また、逃げた後を考えると、「逃げろ」だけでは救いが少ないような気もします。

 

じゃあ、何と声をかけるべきなんだろう。

私としては、「わがままは美しい」という言葉を送ってみたいです。

この言葉は、19~20世紀のドイツの小説家ヘルマン・ヘッセに由来します。

ヘッセは「わがまま」を「美徳」と言い、愛すべき人間の性質のひとつだと言いました。

「わがまま」は一般的には「悪徳」と考えられます。しかし、「悪徳」とされるのは他者指向モードの時であり、自分指向モードにおいてわがままは「“生きる”への全力」です。人間が自己の生に全力であるという状態は本来喜ばしいことのはずです。だから、「わがままは美しい」と言いたいのです。

 

まじめじゃないかもしれない、

間違っているかもしれない、

自己中心的かもしれない、

でも、わがままであっていい、それは美しいから。

 

今日は悲しいニュースについて話しました。

普段ニュースや時事的な情報に触れていない自分を少し反省。

 

よし、学ばな。。。

※ブログ更新※お知らせとベーグル写真:来週はブログお休みします!

※ブログ更新※お知らせとベーグル写真:来週はブログお休みします!

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日はお知らせだけ。

 

来週の月曜日~金曜日(8/12~16)はブログ更新をお休みします。

 

今年4月1日に始めたこのブログも今回の投稿で95投稿目です。

再来週の更新再開で、金曜日には100投稿になる予定です。

 

不規則な投稿時間や拙い文章で、いつも申し訳ないなぁと思いつつも、

いつも読んでいただいている方々には本当に感謝しかありません。

どうぞ今後もよろしくお願いいたします。

 

内容としてはこれだけなのですが、、、

それだけでは味気ないので、最後はフォトジェニックにいきたいと思います!

 

↓ ↓ ↓

 

(抹茶&ほうじ茶パイン)

 

(おれんじ&三種のドライフルーツ)

 

(アールグレイ&プレーン)

 

(キャラメルナッツ)

 

(ごぼう昆布チーズ)

 

(めんたいマヨ)

 

(ビーツ&よもぎ)

 

(キーマカレー)

 

(五穀みそ)

 

(とうもろこし)

 

(シリアル)

 

(ハムチーズサンド)

 

(カレーチーズ)

 

(お客様から頂いたかわいいズッキーニ)

 

(ずらり)

 

(アプローチ)

 

(ファサード)

 

ご覧いただきありがとうございました。

もし千葉県へお越しの際はどうぞ

 

by manana bagel

 

まだまだ、学ばな。。。

※ブログ更新※【行動②本を1トン読む】20190808

※ブログ更新※【行動②本を1トン読む】20190808

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日は【行動本を1トン読む】企画です。今回も読んだ本の重量を追加したいと思います。

ちなみに、(2019年1月1日~)前回の投稿までの総重量は、40,438gでした。

 

エリック・ホッファー著、田中淳訳『波止場日記 労働と思索』みすず書房・・・339g

 

本書の著者であるエリック・ホッファーは異色の哲学者です。

彼は20世紀の生まれ(1902年)ですが、高等教育を受けたことがありません。幼いころに失明し、8年後に奇跡的に視力が回復するという不思議な経験をしています。視力の回復後は読書に耽る生活を送るようになります。

その後、モンテーニュの『エセ―』と出会い、自ら思索し執筆するようになりました。著述家として思索と執筆をしつつも、鉱山夫や農業従事者、港湾労働者として働き続けました。特に、港湾で荷揚げ荷下ろしを行う沖仲仕として長く働いていたことから、「沖仲仕の哲学者(哲人)」などと呼ばれます。彼は、大学に教授としての職をえた後も一労働者として働くことをやめませんでした。

(仕事の休憩中、読書にいそしむ様子)

 

・・・

 

本書は彼が1958年6月から59年5月にかけて書きとめた日記であり、沖仲仕としての仕事のことや読んだ本のこと、政治のことなど様々なことを綴っています。

 

そして、ところどころで人間や社会への深い洞察を示しています。

自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかがまったく念頭にないことに気づくと、うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である。

思わずうなずき、またペンをとって赤線を入れました

ホッファーが「うれしくなる」と言っているような瞬間はそうそう容易に感じられるものではないが、時々あります。そして、私の場合それはたいてい読書をしているときです。ホッファーもそうであったのではないだろうか、と思います。

自分と他人、過去と未来の境界が溶けてなくなり、止まっているように、あるいは流れているように感じる、無限のような瞬間です。これはあまりにも主観的なのでなかなか言葉にしにくいものなのです。

 

・・・

 

次は、いまは共感はできないけど、「かっこいい」「いずれそんな感覚を味わいたい」と思ったことば。

なんども体験したことだが、思索は、全体の筋がつかめなくなったと思ったとたんに、急速な発展期がやってくる。

かっこいいですねぇ~。

「ふとしたときにアイデアが降ってくる」と似ているようですが、たぶん違う。

そして、ホッファーの言う「急速な発展期」は、何もせずにはやって来ないでしょう。

働き、本を読み、考える。

その繰り返しによって得られる、高度に知的な営みです。

 

・・・

 

アウトサイダーとなり、アウトサイダーであり続けるには、ある程度の物ぐささとある程度のおく病さが必要である。

「物ぐささ」と「おく病さ」が必要。。。

何言っているのかよくわからず、3分考えましたがよくわかりませんでした。

ただ、なんかいいこと言ってそう。そんな文章です。

こういった「言ってることはわからないけど、なんかいいこと言ってそう」という感覚は、思想書といわれるようなジャンルの本を読んでいると頻繁に感じるものです。そして、時間をあけて改めて読むと意味がよくわかったりすることもあります。

以前読んだ時にはわからなかったことが、時を経てわかるという瞬間が訪れると、とてもうれしい気持ちになります。それは、古典を読むことの醍醐味のひとつだと思います。

 

・・・

 

今回ご紹介した『波止場日記』は、内容としては日常の描写が多く、とても読みやすい文章です。そして、彼の人間や社会に対する深い洞察が、シンプルな言葉で綴られています。

最初から読む必要もなければ、全部読む必要もない。

寝る前に数ページだけ読むというのにピッタリな本だと思いました。

 

・・・

 

その他、

 

阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』ちくま文庫・・・167g

 

・・・

 

前回までの総重量40,438gに、今回の339gと167gを加算します。

ということで、(2019年元日~)現在までの総重量は40,944gになりました。

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

「大人の学び」7つの行動(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動 タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動 本を1トン読む

行動 人から教えられて学ぶ

行動 越境する

行動 フィードバックをとりに行く

行動 場をつくる

行動 教えてみる

今回はもちろん行動②です。今後も1トンを目指して読んでいきます。

ああ、学ばな。。。

 

※ブログ更新※これからの仕事は「労働の疎外」からの解放へ向かう!?

※ブログ更新※これからの仕事は「労働の疎外」からの解放へ向かう!?

 

こんにちは、髙橋です。

 

昨日のブログでは、「疎外」というものについて書きました。

フォイエルバッハとマルクスというふたりの哲学者の考えを参考にして、「疎外とは自分から自分が離れた状態」ということをお伝えしました。

 

・・・

 

そこで、マルクスが考えた「労働の疎外」についてご紹介しました。

資本主義経済の賃金労働の下では、労働者は自ら労働を差し出し(自己の外部に置き)、代わりに賃金を得ます。労働による成果物は労働者のものではなく、資本家の所有物となります。ここにおいて、「疎外」は「本来自らのものであったはずのものが、自分から離れてしまう」ことを表しています。自らの労働が自分のものではなくなってしまうことをマルクスは「労働の疎外」と呼びました。

 

・・・

 

『資本論』に代表されるマルクスの思想は、20世紀の思想、政治、経済、社会全体に大きな影響力を及ぼしました。特に、その理論や思想は社会主義・共産主義の強力な基盤となり、冷戦の終結まで重要な役割を持っていました。

しかし、冷戦の終結そしてその後の国際的な政治経済をして、マルクスが考えた「資本主義社会が革命によって打倒され、より人類にとって理想的な社会主義社会が到来する」という歴史観は、実際をもって否定されたとみられます。

 

・・・

 

しかし、彼の徹底した資本主義社会への批判的分析の持つ価値が否定されたわけではないと思います。特に、「労働の疎外」は現在も変わらず存在しています。

 

というより、今までは存在してきました。

 

しかし、これからはどうなんでしょうか。

 

現代は一種の過渡期です。あらゆることが大変速いスピードで変化しています。

起業やフリーランス、副業といった選択肢がより身近なものとなりつつあり、稼ぎ方、働き方、生き方の多様性が急速に高まってきています。もちろん、一気に労働者が減少し、起業する人やフリーランサーが急増するとまでは考えていません。しかし、そのような傾向が強まっていくことは想像されます。特に、AIやロボット技術が高度に進化することで社会全体が必要とする人間の労働力が減少していくと予想されます。そして、人間は“人間だからこそ”できる仕事に限定されていくのではないでしょうか?

 

・・・

 

人間が“人間だからこそ”できる仕事に集中する。

この状況はマルクスが見ていた労働社会とは全く異なるどころか、真逆と言えるかもしれません。

彼の見た、「労働の疎外」を引き受けた労働者たちの姿は、資本家の下で機械の一部のように酷使される非人間的な人間でした。

そのため、今後人間が“人間だからこそ”できる仕事に集中するようになったとき、それはマルクスが指摘していた「労働の疎外」からの解放だと受け取ることができます。

 

 

今後、働く人たちを取り巻く環境がどのようなスピードで、どのような状況へ変わっていくかはまだまだ不透明です。ただ、大まかな方向性は上記のようなものになるのではないかと思っています。

 

・・・

 

今日は、昨日のブログで取り上げた「労働の疎外」について、今後の社会の中でどのような変化が考えられるかということを考えてみました。

 

ただ、思います・・・

“人間だからこそ”できる仕事って何なんでしょうか?

 

思考?

創造?

 

それとも、遊び?暇つぶし?

 

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

―「大人の学び」7つの行動―(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動① タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動② 本を1トン読む

行動③ 人から教えられて学ぶ

行動④ 越境する

行動⑤ フィードバックをとりに行く

行動⑥ 場をつくる

行動⑦ 教えてみる

今回は行動⑦です。教えるというにはあまりにもボヤっとしていて申し訳ない感じ。

さあ、学ばな。。。

※ブログ更新※疎外感の正体:疎外とは自分から自分が離れた状態!?

※ブログ更新※疎外感の正体:疎外とは自分から自分が離れた状態!?

 

こんにちは、髙橋です。

 

皆さんは普段、「疎外感」を感じることがありますでしょうか?

 

例えば、

「転職したばかりの職場に中々なじめなくて、疎外感を感じ・・・」

「ずっと仕事人間だったから家庭に居場所がなくて、疎外感を感じ・・・」

 

・・・と言うように、普段われわれが使う「疎外感」という言葉は、まわりから「よそよそしくされている」とか、「のけものにされている」とか、あるいは「嫌われている」といった意味合いで使われていると思います。“集団の中にあって孤独な状態”をイメージされるのではないでしょうか。

(こんな感じ)

 

しかし、

この「疎外感」、あるいはもっとシンプルに「疎外」という言葉の元々の意味は、上記の印象とは微妙に異なります。今日は「疎外って何?」ということについて、少しだけ私が知っていることをお伝えしたいと思います。

 

・・・

 

What is 疎外?

 

疎外という言葉を使って自らの思想を展開した過去の人物として有名なのが、フォイエルバッハとマルクスです。ともに19世紀にドイツで活躍した哲学者であり、二人とも先輩の大哲学者ヘーゲル先生に強く影響を受けています。(関係ないですが、二人とも見事な髭もじゃ爺さんです)

 

まず、フォイエルバッハは『キリスト教の本質』という著作の中で「疎外」をキーワードとして用います。彼は、神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくった、と考えます。人間は現実には複雑な状況で生きていて、よい部分もあれば、悪い部分もある。よいときもあれば悪いときもある。しかし、人間には人間たる本質があって、その完全で完結した本質を自己の外に置いたもの、それが神(的本質)だとフォイエルバッハは唱えました。フォイエルバッハの言う「疎外」は「自己(の何らかの部分)を自己の外部に置く」ということです。この疎外についてのイメージはマルクスに大きな影響を与えました。

「フォイエルバッハ」の画像検索結果

(フォイエルバッハ)

 

そして、『資本論』や社会主義で有名なマルクスですが、彼の資本主義批判においても「疎外」は重要なキーワードになっています。彼が言いたいのは、つまるところ「資本主義の下で資本家が労働者を搾取している」ということにしましょう。しかし、資本家と労働者の関係は古代における主人と奴隷ではないので、ひとくちに搾取と言っても、資本家が強制的に労働者を搾取しているわけではありませんん。そのため、両者の同意(契約)の下で搾取が行われているということになります。そのような資本主義経済の賃金労働の下では、労働者は自ら労働を差し出し(自己の外部に置き)、代わりに賃金を得ます。これをマルクスは「労働の疎外」と呼びました。中世的な自営業の労働では、自らの労働によって生み出された成果物は自らのものでした。酪農家の牛乳は酪農家のものでした。(牛さんは乳を搾取されていますが)酪農家は労働の成果物たる牛乳を所有しています。そして、酪農家はその牛乳をその他の対価(金銭や物資)と交換することで、自らの収入とします。しかし、賃金労働の下では労働の成果物は労働者のものではありません。労働の成果物は資本家の所有物となります。ここにおいて、「疎外」は「本来自らのものであったはずのものが、自分から離れてしまう」ことを表しています。自らの労働が自分のものではなくなってしまうことをマルクスは「労働の疎外」と呼んだのです。

 

「マルクス」の画像検索結果

(マルクス)

 

・・・

 

いかがでしょうか。最初にあげた一般的なイメージの「疎外」とは少し違った見え方がしてきませんか。

 

端的に申し上げれば、

「疎外」とは「自分から自分が離れる」ということです。

 

うーん、まだ小難しいですね。。。

言葉をもっともっと咀嚼することが許されるのならば、

「疎外」とは「自分らしくない」ということだと思います。

 

・・・

 

今日は、ふたりの髭もじゃ爺さん二人のお知恵を拝借して、「疎外って何?」ということをお話しました。

 

「最近自分らしくないな!」と感じておられる皆さん、

それはもしかしたら、自分の何かが自分から離れている(疎外されている)からのかもしれません。

 

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

―「大人の学び」7つの行動―(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動① タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動② 本を1トン読む

行動③ 人から教えられて学ぶ

行動④ 越境する

行動⑤ フィードバックをとりに行く

行動⑥ 場をつくる

行動⑦ 教えてみる

今回は行動②と行動⑦です。

「疎外」というテーマで書こうと思ったのは、今読んでいる大澤真幸著『社会学史』という本の影響です。そこから刺激を受けて、「疎外」について以前学んだことを外化したくなって書きました。「疎外」について、学んだことの確認や改めて考えてみることができるので、よい機会でした。

よし、学ばな。。。

※ブログ更新※【行動②本を1トン読む】20190805

※ブログ更新※【行動②本を1トン読む】20190805

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日は【行動本を1トン読む】企画です。今回も読んだ本の重量を追加したいと思います。

ちなみに、(2019年1月1日~)前回の投稿までの総重量は、40,005gでした。

 

ソル・フアナ著、旦敬介訳『知への賛歌 修道女フアナの手紙』光文社古典新訳文庫・・・134g

 

本書の著者ソル・フアナは日本では一般にほとんど知られていません。

(僕もこの本を手に取るまで知りませんでした。)

彼女は17世紀後半に活躍したメキシコの詩人であり、当時のスペイン語圏のスターでした。その証拠に、メキシコのお金の肖像になっているただひとりの女性がフアナです。

 

本書に収められている彼女の詩や散文を読んだ印象では、彼女は当時の社会で知識人階層の大半を占める男性たちと渡り合っていくために、ものすごい知的武装をしているということです。キリスト教的なバックグラウンドと哲学的バックグラウンドの両方が感じられます。

 

・・・

 

また、彼女は当時の社会にあって女性の声を代表できる立場にあったということもあり、多少フェミニスト的視点からの記述も見られます。

 好かれようとも嫌われようとも

あなたには結局同じこと、

冷たくされれば嘆きあげ

惚れてきたらば嘲笑う。

 どんな女もいいご意見はもらえない

どれほど控えめな女であろうとも、

あなたを受け入れないのは忘恩女

受け入れたら尻軽女とされるばかり。

 いつでもいかにも頑迷なあなたがた

異なったものも結局同じ、

ある女は冷たいと言って責め

別の女は簡単すぎると言って責め。

 あなたの愛を求める者は

どうすればちょうどいいのでしょう?

 

・・・

 

ソル・フアナは43歳という若さでこの世を去りました。

しかし、本書の巻末についている彼女の年譜を見ると、若いころから年1~2作品のペースで作品を発表、出版しているようです。

また彼女の文章を読むかぎり、大変な量のインプットとアウトプットを実践されてきたのだと感じられます。

量質転化。

このことは、才能が絶対と思われがちな詩作の世界でも同様に重要な考え方なのかもしれません。

私も普段から心がけていることですが、改めて積み重ねていきたいと思いました。

 

・・・

 

その他、

 

伊奈正人著『サブカルチャーの社会学』世界思想社・・・299g

 

・・・

 

前回までの総重量40,005gに、今回の134gと299gを加算します。

ということで、(2019年元日~)現在までの総重量は40,438gになりました。

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

「大人の学び」7つの行動(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動 タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動 本を1トン読む

行動 人から教えられて学ぶ

行動 越境する

行動 フィードバックをとりに行く

行動 場をつくる

行動 教えてみる

今回はもちろん行動②です。今後も1トンを目指して読んでいきます。

ああ、学ばな。。。

 

※ブログ更新※【行動②本を1トン読む】20190802

※ブログ更新※【行動②本を1トン読む】20190802

 

こんにちは、髙橋です。

 

今日は【行動本を1トン読む】企画です。今回も読んだ本の重量を追加したいと思います。

ちなみに、(2019年1月1日~)前回の投稿までの総重量は、39,328gでした。

 

福田季三志著『部下をプロ人材に鍛える三つのステップ』ダイヤモンド社・・・347g

 

本書の著者は、タナベ経営で人事系のコンサルティングを展開する経営コンサルタントの福田氏です。

著者は、長年の人事コンサルティング経験を元に、部下を本書で言うところの「プロ人材」に育てるための方法を述べています。

著者によると、本書での「プロ人材」とは、

「お客様に対して感動を与えられるレベルの価値を提供できる人材」

を指しています。

ここでの重要な視点は「相手本位」であるという点です。プロ人材はお客様(相手)から見て高い価値を提供していなければなりません。

 

・・・

 

著者によれば、部下を育成するにあたってリーダーはあることからスタートする必要があります。

 

著者はこのように問いかけます。

「これまでの人生において、自分を成長させてくれた人は誰ですか?その人のどのような指導が。自分の成長につながったのですか?」

 

ここでの狙いは、自己対話することにより、リーダーが自分の成長の原体験を認識することにあり、そのことが部下を指導する際に重要な言葉の説得力を持たせると考えています。確かに、聴いていて腹落ちする方のお話は、ものすごく具体的でリアルな内容であることが多く、こちらもその時の状況が想像しやすいように思います。

 

・・・

 

また、今の時代に求められる指導方法とは「個別指導」スタイルだと述べられています。リーダーは部下それぞれの性格や強み、弱み、成長度合いなどに応じて、個別に応じた指導を求められます。従来型のティーチングスタイルのみで部下を育成することは難しくなってきています。

 

現代のこのような状況の背景として二つのことを考えました。

①多様性

→ともに働く人々は、性別・年齢・国籍・雇用形態などの点において以前よりも多様になっています。多様な個人の集まりであるチームをまとめるうえでは、彼/彼女らの個別性を無視することは難しいでしょう。

②人手不足

→昔であれば、たくさんの人を雇い入れてオラオラ系ティーチングを行い、それに付いてこられる人だけが残ればいいというような考え方も可能でした。しかし、人手不足の現代ではそうはいきません。

 

・・・

 

部下に様々な業務を割り当て、彼らに快く、主体的にそれらの業務にコミットしてもらうためには、リーダーと部下の「関係」が重要であることは言うまでもありません。

著者は、部下との関係をよくするためのキーワードとして、「納得性」をあげます。この「納得性」をわかりやすくするために仕事で考えると、

今、なぜ、その仕事をする必要があるのかを理解し、自分の役割として承知すること

と言えます。

著者によれば、以上のような納得性を得ることにより、部下は任された仕事に対し「意志」を持つようになる=「やる気」になるとのことでした。

この「納得性」はいまどきの若者を指導するリーダーたちにとっては特に重要なキーワードな気がします。昔であれば、会社や社会には「先輩・上司の言うことは絶対」という雰囲気がありましたが、今はそのような風土の会社や組織は人気がありません。

部下は自分の仕事に具体的な「意味」を求め、またそれが「自分の成長につながるか」を大変気にしています。そのため、自分の仕事の必要性や自分の役割をしっかりと受け止めていることが彼らの仕事へのモチベーションにも大きな影響を与えます。現代のリーダーには部下に「納得性」を持たせられる能力が求められています。

 

 

本書は駆け出しリーダーの新任マネジャーはもちろん、逆にフォロー側の方にもお勧めできます。というのも、リーダーの役割を知ることは自分のリーダーとの円滑な関係性を築くためにも重要なことだと思うからです。

 

・・・

 

その他、

 

中島義道著『働くことがイヤな人のための本』日本経済新聞社・・・330g

 

 

・・・

 

前回までの総重量39,328gに、今回の347gと330gを加算します。

ということで、(2019年元日~)現在までの総重量は40,005gになりました。

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

「大人の学び」7つの行動(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動 タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動 本を1トン読む

行動 人から教えられて学ぶ

行動 越境する

行動 フィードバックをとりに行く

行動 場をつくる

行動 教えてみる

今回はもちろん行動②です。今後も1トンを目指して読んでいきます。

さあ、学ばな。。。

 

※ブログ更新※キャリアセンター化する人事

※ブログ更新※キャリアセンター化する人事

 

こんにちは、髙橋です。

 

昨日コーヒーを飲みすぎてなかなか寝付けず、結局開き直って深夜1時からレアルマドリードのプレシーズンマッチ(VSフェネルバフチェ)を観戦してました。お目当てはもちろん久保くんです。20分足らずの出場時間でしたが、やはり足元にボールが入ったときの落ち着き、視野の広さ、正確なボールコントロールがずば抜けています。背番号10のモドリッチとのコンビネーションも華麗でした。試合自体は緊張感のないひどい試合でしたが、見れてよかったです。

 

今日は企業における社員のキャリアについて少し書きたいと思います。

 

・・・

 

近頃、人事関係者の方々とお話するとよく話題にのぼるのが「社員のキャリア」です。もっと単刀直入に申し上げれば、「ベテラン社員や定年後社員を今後どうしていけばいいの?」というお話です。

 

 うちの会社では定年後になると給与はそれまでの半分以下、体力も落ちてきてそれまでと同じ働き方ができない人も増えてくるし、本人のモチベーションもパフォーマンスもダダ下がりなんです。しかも、年下の上司や一緒に働く後輩社員から煙たがられていて、チームの士気まで下がってしまって。

 でも、彼らが一心不乱に働いて会社に貢献してきたおかげで会社がここまで大きくなったわけで、ここまできて突然ポイっとなんてできないです。そもそも日本じゃそうそう解雇なんてできないですし。早期退職募集とか最近よくニュースで見ますけど、あれも相当大変ですよね、人事も本人も。

 

だいたいこんな感じの悩みを抱えておられる人事パーソンがたくさんおられるように思います。上では定年後社員としましたが、役職定年後であったり、今以上のキャリアアップが望めなくなったベテラン社員も同じようにモチベーションやパフォーマンスが低下しているように見受けられることが多いようです。

そこで、最近増えてきているなと思うのが会社による社員へのキャリア教育、あるいはキャリアデザインです。ひと昔前に会社における社員のキャリアと言えば「いつ頃にどんな能力を持っていれば管理職あるいは経営層になれるのか」ということ、つまり出世の道にまつわる内容がメインでした。

しかし現在では、社員一人一人が自分のライフデザインまで含めた価値観に照らして、どうすれば活き活きと働いていけるかを会社と本人が共に考えていくようになっているのです。

 

・・・

 

現在、このようにベテラン社員や定年後社員などへのモチベーションやパフォーマンスのリテンション(維持・向上)を目的としたキャリア教育やキャリアデザインプログラムが増えてきている背景として次のようなことを考えました。

・モチベーションやパフォーマンスが低下した社員をそのまま抱え続けられるだけの体力が企業からなくなった。

・人口構造のボリュームゾーンが高齢化し、相応のポストにつけない者が増え、多様なキャリアパスを用意する必要が出てきた。

・「人生100年時代」に代表される人生観、労働観の変化や現実としての仕事人生の長期化への認識が広がり、働く人たち自身がキャリアを強く意識するようになってきた。

 

・・・

 

もちろん、元々人事部門には社員のキャリアを考える機能がありましたが、基本的にはその組織内での理想的なキャリアパス、幹部候補の育成に沿ったキャリアプランを描くことがメインだったのではないかと思います。

しかし、今後は社員に多様なキャリアパスを用意し、また時には個々人の相談にのってまで共に最善の道を探していくということも求められるようになります。さながら、ハローワークの相談窓口、大学のキャリアセンターといった具合にです。

今後このような傾向が一層強まっていくことが予想されます。これからの人事が(部分的に)キャリアセンター化していくでしょうし、ある種感度が高い企業はすでにその対応を始めています。早めの対応が肝心かもしれませんね。

 

例によって、下記の行動原則にあてはめてみます。

―「大人の学び」7つの行動―(中原淳著『働く大人のための「学び」の教科書』

行動① タフアサインメント=タフな仕事から学ぶ

行動② 本を1トン読む

行動③ 人から教えられて学ぶ

行動④ 越境する

行動⑤ フィードバックをとりに行く

行動⑥ 場をつくる

行動⑦ 教えてみる

今回は行動③と行動⑦です。

様々な組織の人事の方々から喫緊の課題としてこのような話題が出ることが多く、「今とくにホットな話題なんだ」という認識を持ちました。そこから自分なりにその背景を考えたので、少しだけブログでお伝えしようと思いました。

ああ、学ばな。。。